空振り人生上等っす

2018年04月12日

どうもです。

最近ブログが全然あげられていなくって、個人の方も会社のブログを見た人はがっかりすんだろうな~

東京は真新しい雰囲気を持っている人達が沢山歩いていて、新入ってのを感じる人混みもあります。

さてさてそんな中で私や"はじめたろう"はというと少しづつみんなに助けてもらいながら動いてるって感じです。

昨年にお手伝いやアルバイトに入ってくれてたY君も4月に別の道へと進んで事務所で仕事をする環境も変わって、寂しく感じたり、もっとこうしてあげられれば、と時々振り返りながら進んで続けています。

仕事において大変というか辛いというのはあまり感じないんですが、これからというか先を見たときには不安はありますね

誰しもそうじゃないのかな?って思います。

時々「人生って?」なんつう大きなものに向き合ってしまう時もあるかもしれません

勿論考えて当たり前のことですし、そんな抽象的なものに悩まされるってこともあっかもしれません

自分の環境が変わって必死になれる時にはそれでいいけど、そうなれないというか空白が多すぎて力の入れようがないような、そこにあるのに掴めない、掴もうと一歩が踏み込めないって時もあるかもしれません

「あるかもしれません」ばっか言ってますけどゆるして、専売特許です。

そんな時にはやっぱり誰かを頼るのがいいんじゃないかなって思います。

ひとりってのは、もちろん真面目に過ごしてるからこそ起きるというか、ひとりになって当たり前なんですけど、ひとりだけじゃ分からないってのもあると思います。

そんでもって誰でもいいわけじゃないし、投げやりになるのも違うと思うんです。

しっかりと真面目に誰かと向き合うっていうか、相手との過ごし方を利己的にならないように、ただ自分の想う相手と相手の見せてる自分を照らしてあげられるような感じですかね・・・難しいこと言ってますね

自分の為の誰かなのか誰かのための自分なのかってこつっす。

そういう中で相手が違う自分を見られたんだとしたら、それでオッケーなんじゃないかなって思うんです。

だから自分では「上手くいかなかった・・・」って思うんだけど、それは自分にとってっていう主体が自分なだけで、自分は損したというか得しなかったとしても、相手には違ったものが残ってるかもしれなくて、そんでそれは損得とかじゃない自分自身であるんじゃないかな~って。

もちですが「残った!!はい残ったでしょ!!こりゃ残ったよね!!」なんつう風に感じるわけじゃないですから、常に空振り感は伴いますけどね、むしろ結果なんて分からないことの方が多いし、自分は傷ついてるかもしれないのに「残ってる!」なんて言いきれたらどんだけプラス思考なんだよって感じですよね、逆に頼もしいけど(笑)

自分は空振りしてんだけど相手は気が付く

言葉にすると前向きな感じですけど、実際は空振りもフルスイングだと疲れます。

でも誰かがいてくれれば、もし誰かの為に出来ていたとしたら、相手から見えるものは空振りじゃない、何かを捉えたものかもしれませんよね

日々が実るってのがあるのかは分かりませんけど、人生ってのを考えたくなったらひとりでは分からないです。

主体が変わるような感覚は本気にならないと分からないかもしれなくて、要領のいい人はそういう意味で器用貧乏というか、誰かを感じにくくなっちゃう時があるかもしれません

悩みが多い人は自分に劣等感を感じたとしても、自分の悩みを超えて時には誰かの悩みへと主体を変えることが出来るんじゃないかなって思います。

4月から新しい環境へ挑戦ですね!!

その中でどれだけ自分ってのを発揮できるかは分かりませんけど、

誰かってのは常にいるはずですから向き合って悩んではまた変われるように、

それでいて思いやりを忘れずにがんばって欲しいです。