ふけって老ける過去の友たち
どうもお久しぶりとなってしまいました。
友だちも多かったが気が付くと………桜の花のよう、ははは~と結構というかリアルガチで特に友はいま、落差でいったら劇的なくらいかと思います。
悲観的ではないので心配なさらぬように、ざっくり言うなれば少ないタイプなのです。
昔の友の事を時々思い返すのですが、「○○くんとは遊んじゃダメ」って母親に言われたって友達に言われたって友とかね、付き合ってた彼女の父が自分の父親と同級生で「そいつの息子となんか別れろ」って言われた友とかね、理不尽な事を言われちゃう奴がいました。
残酷な状況
そんな告白を受けてきた身としては、そういう言葉を投げかけられた方のやり場のなさをどうしてあげることも出来ずに、多分ただ空虚な雰囲気を一緒に眺めていたんじゃないかなって
頼りない奴です。
おじさんになってから気が付いても遅いんですが、お互いいいおじさんになってしまって(きっと)、差別を受けていた事に今更気が付いても何もできません。
楽しい時もあったから水に流せるんでしょうか、もしくは僕らも誰かを傷つけてしまっていたんだろうからその報いなんでしょうか
悲しい気持ちも苦しい気持ちも誰かに返してしまう前に一緒に消化できたらどれほど救われたんでしょうか
チャゲアスみたいに今からそいつを殴りに行こうか?っておどけたり、一緒に笑ってやれたらよかったのか
仰いでしまう思い出に、意味を見出せなくても、揺さぶられる感情で桜の花だって簡単に落とせてしまうから、砂埃に混じって遊ぶならば、水たまりにだってダイブできるね
春の中から取り出した思い出は悲しいものだってあるっす
急に詩的になったところで許されるわけもなく、無力なぼくらの単なる思い出ですか
悲しいですね、そういう時ってあります。
自分が向こう側にもいるんじゃないかと思うと、いつも正しい方にいられるとは限らないです。
そんな自分を受け止めるのが嫌だから誰とも関わらない、なんてことも出来るわけは無いので、時に誰かを傷つけて自分を癒しているのが本音なんでしょう
そう思うともう人生大変な方向へ行ってしまうのですが、ま、ここまでという事で、桜を見て団子すら食えるわけですから、ま、あなたが元気でいてくれさえすれば本望だす。
という事で団子屋をはじめたんです。と回想する日が来るかもしれません(くんのか?)
もしくは団子屋を見て、あ~あの方も団子を振舞う方へ行かれたんだな~と想像するわけっす。
これで終われるお前がすごいですが、無理矢理終わるわけです。
と言うわけで、春の団子でいい夢見てね
まつお