できることは限られているけど
おはようございます。
お尻の片側が痛くてちょっと診てもらったところお尻のなんかの骨の辺りを捻挫したようです。
そんなとこ捻挫してます。
マヌケな感じで。

東京は蒸し暑くなってきましたね、学校やお仕事など部分的に始まってきていますね、まだまだ分からないこと多いです。
とにかく精神的な安定というか、見るべきもんも頼るべきもんもあって無いように感じますが、そういうことは別に今に始まったことでは無いから浮き彫りになった感覚をあまり一人で抱えないように電話でもzoomでも少しでも誰かと話すだけで違って見えるかもしれません。
ゆっくり受け止めていくしかないんじゃないかと・・・。
んで結局単純なまま単純なものへと流されてもいるわけで、複雑ぶった感情をポイっと投げ打っちゃれたり、気ままに生きてんのかもしれません

誰かがいてくれないと出歩けないというか生活が難しい人だっていて、勿論こういう状況になる前からいらしたわけで、当たり前のように生活が担保されていたからこそ今の自粛という言葉も成り立つんだろうなと思います。
いつだって犠牲になってしまう人はいて、気がつかれにくいです。
多数の人が当事者になったとしても、「いつもとは違う」「こうした事態だから」と非日常的なものだと思う事で当事者から離れてしまうし、日常的に社会と切り離されてしまっている人への感情移入や想像性を働かせることへの繋がりも薄れてしまうのかもしれません。
もしちょっと考えるきっかけになった人がいたら、いい悩みなんだと思うし誰かに何かをしたいと思えたのなら特別なものではなくて単純で身近な中にしかないと思うんです。

東京は以前のように動き出して行くんでしょうか、また元に戻る事が嫌なのはしっかり掴みきれない感情が誰のものなのか分からない為かもしれません、まだまだ当事者であったのかもしれないのに急に当事者から離れて行く感覚なのかもしれません。
だから気がつけることがあるのだと思います。
戻る事はないからこそ気が付いていかないといけないのかもしれません。

まつお